境の史跡⑩ 関宿藩剣術士鏡心流 荒尾光政碑 (吉祥院)

2018年12月17日 22:07

 

光政は、関宿藩士父大坪正邦の次男として天保3年(1832)10月12日関宿藩上屋敷の江戸箱崎邸で生まれる。幼名は「次郎」。諱は「光正」、及び「()(ほう)(けん)」と号する。 後に祖父の姓「荒尾家」を継ぐ。幼少より槍剣の道に優れ、安政4年(1857)関宿藩主久世広周より小姓役に抜擢され、禄高百石を賜る。

万延元年(1860)古河藩医河口信任の長女満喜子と婚姻。妻満喜子は、明治26年(1893)6月、享年60歳で没する。

 光政は、幼年時代の文武修業は、17歳まで関宿藩の藩校鏡倫館で薫陶を受ける。同藩心流師範の荒木又八に始めて学ぶ。藩の小姓役光政は、嘉永3年(1850)5月出府。この時始めて鏡心明智(めち)流江戸屈指の名剣士桃井春蔵に随従する。桃井の門人となった光政は安政3年(1856)淺山一伝流の指南役に打ち勝ち久世広周はこの進歩に驚きを示したと云われている。

 文久2年(1867)正月、老中安藤信正の刺客襲撃事件(坂下門事変)では、光政は久世広周登城の警護として水戸浪士と共に加わり、維新以後は、住まいを境町に移し文筆活動を続けながら「演武館」を創設し、爾来その館主として大いに力を尽くし専ら後輩の育成に努めた。

明治36年(1903)5月6日を以て没する。享年72歳。菩提寺は吉祥院(新吉町)には水戸佐々木(欠損)撰、北条時雨書光政の「碑」(明治42年11月中旬)が建立されている。        (文責 郷土史家 中村正己)

 

 

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